yuppp

日々感じた想いを綴る。備忘録。時々、星読みごっこ🌖

お月さま

ちょっと欠けはじめたときの月が昔から好きで
ひとくちかじられたなにか、みたいな
ちょうどそんな欠けた月の日の夜

ふりかえって空みたら
ほんとに綺麗にぼんやり月がいてくれてる


満たされない気持ちが見透かされてるかのように
欠けてるくらいがちょうどいい、と投げやりに思ってた頃とは明らかにちがって

今は
欠けてる見えない部分の先にあるものを探すことが嬉しいし楽しい


案外ちゃんと前見て生きてる自分に安心した夜

未完成の美しさ。
大丈夫。今を大事に、ゆっくりでいい。

足跡とこれから

たとえばあの時こうしていたら。

もしあの日わたしがそこに居たなら。



時空の概念は想像をはるかに超越していて


あの時ああしていたら
今、は存在しないし

あの日わたしがそこに居たとしたなら
今、わたしはここに居ない

今、存在してる空間がすべてだし
今までの沢山の取捨選択で今が作りあげられてる



もし今少しでも幸せや安心、愛に触れているなら

それはとっても肯定的な、必然が交差した証で

しあわせ、なことなんだと思う



今ある現実は 間違いなく自分で選んできてること

忘れちゃいけない


これからもきっと

そう感じながら歩んでいけばいいだけ

多分、とってもとっても単純なこと

ただ 忘れてるだけなのかもしれない

おおみそか

2/20ーー乙女座の満月。

3/7ーー魚座新月

3/21春分の日ーー太陽が獅子座に入る日。

                      ーー天秤座満月。

 

天空の世界では、

春分の日が3次元でいうお正月。

新しい一年のスタート。

 


その前にこの1か月、

身の回りを整え、浄化に意識を向ける。

空間の浄化はもちろん、

心身ともに"いらないもの"を削ぎ落とす。

 


ネガティブな感情は水に流す。

浄化し、変化すること。変化を感じること。

痛みを伴うこともあるが、必要なステップ。

 


物理的にも不要なものを手放し、また

感情・意識・考え方でも、

心を広く大きく解放し、

意識的にネガティブなものを手放す。

柔らかなピンク色に一帯が染まり包まれるような映像を

 


必要・不要を自分の内側に問いかけ、

不要なものを手放し、

心地よいものだけに意識を向ける。

自分の内側を白濁した感情であふれ返すのではなく、クリアなものだけ残し、

ゆったりスペースをあけ、やわらかく穏やかに過ごすことーー

 

そんなイメージで過ごす、

いつもと違うやり方で

自分との対話を積極的に行う、

少し不思議な時間を過ごすとき。


すべてのひとがどうか

満たされた、よりよいお年を、お迎えできますよう。

じぶん

靄にかかってみえなくなってたものが

みえるようになってきた

 

新しい自分じゃなく、

本来の自分にもういちど触れられた感触

 

ひとりでは出来なかった作業

プロのサポートに感謝。

 

自分の中にある感情、想いを言葉にする作業

声に出してその声を自分で聴く。

違和感があれば、また考えて言葉をチョイスして。

繰り返し繰り返し、自分と対話する。

納得できるしっくりくる言葉を探す。

 

知らない人にこんなに自分のこと話したことないくらい、2時間の中でとにかく考えながらただただ話せた。自分のことを普段誰かに話すことが得意でない分、この2時間はかなり濃厚な時間だった。経験から学んだこと、決断に至る時の自分の優位性から、モチベートの自分のツボ解析など…なぜ?どうして?をきちんと導いてくれたから、できたこと。

自分ひとりで書いてるだけじゃ、気づけなかった自分の感情がほとんどで、心地のいい空間でしかなかった。アウトプットの真骨頂、コーチングを体験できた。喋るって、大切。と同時に、聴く力の素晴らしさ、重要性も再確認できた。

 

この記事も、声に出した方が、きっともっといい。私の場合、誰でもいいわけじゃ多分なくて、聴いてほしい人に、話したいんだと思う。

耳の傾け方が、心地のいいひとっている。

それだけで、話しやすいし、安心する。

 

不思議と、話すこと、聴くことを仕事にしてる時には気づけなかったこと

気づけなかったのは

話すことから離れたくなるほどに

自分と自分の距離が遠のいてたからなのかも

自分と交わる心のパワーがなかった。

 

安心したのは

大切なことは自分の中にちゃんとあって

それも案外すぐそばにあるもの

でもまだまだほかにあるはずで

 

"新しいなにか"のふりをしながら  

 

ほんとは自分の中にちゃんと、ある

 

私は人と交わることがすきで

人と話すことがすきで

想いを伝えることがすきで

誰かに影響を与えることもすきで

自分をなにかで表現することもすきで

 

まだまだたぶんあって

 

私は大衆の中で人と関わっていく中で

その人のスペシャルな存在にいつかなりたい

その人の大切なときの自分らしいサポートがしたい

 

またカタチが変わってもいい

 

いま、そう思ってることを口に出す

 

いまの自分を、やさしくみとめて受け入れる。

 

自分も、誰かをも、

今世におかれた可能性を最大限に引き出したい

選択肢を増やしていく作業

その人がみてる違う角度からアプローチする、されることの重要性、可能性

 

継続しながら

知らなかったような、忘れてしまってたような自分をもういちどみつけていく

 

今にも、ちょっと後ろにも、前にも、

ちゃんと、自分が確かに居て。

 

見失っても大丈夫。ブレてもいい。

そうじゃなきゃ見えない世界がある。

いつでも、どんな自分も、どんなまわりも、

認めて、受け入れる。

無理なら、

いま、無理なんだ、って、無理な自分をちゃんと認めてあげる。現在地の自分のきもちを手探りでもみつけてあげる。

 

それはやっぱり、自分以外誰にも出来ないこと。自分だから一番近くだからできること。

 

いてくれるだけで感謝しかないのに、

困ったときに手を差し伸べてくれる家族、友人がいて。

 

 

今、このタイミングだから、意味がある

早くも遅くもなくて、ベストタイミングな今を、たまーに揺れ動きながら、自分を愛しながら、まわりを愛しながら、少しずつ生きていく。

 

関わる

ひとりで過ごす時間がすきなのは変わらないけど、前よりはひとりでいたいと思う時間が変わってきたように思う。

 

後ろ向きなことでは決してなく、

誰かと関わり合っていく愉しみを少し学んでいる途中。

自分の中では天変地異並みに変わった部分でもある

 

年齢を重ねるにつれて

関わる人が少数精鋭になってるいま

その人の魅力をすぐ言える人間でいたい

こんなにありがとうって思っていること

ちゃんと伝えたい

 

やさしさや個性、人の魅力を敏感に感じることが愉しいし嬉しいのかもしれない

 

自分を受け入れてくれる人がいることを認識できるのがうれしいのかもしれない

 

人を通して見る自分を少しすきになりつつあるのかもしれない

 

自分も相手のそういう存在で在りたい

 

それが生きていく、愉しさ、醍醐味なのかも